「収穫祭」
村松です
昨日の夕方に北方部落の収穫祭と言う名の
親睦の飲み会が有りました。
以前は、全18戸が全て農家でした。
昨年からは、農家が無くなりました。
50町歩の水田を5反から3町歩まで耕作面積は
戸々に、差がありましたが、徳川幕府の5人組
よろしく東通り、西通り、宮原と3つの組に
分かれていて、組ごとに農作業や日常生活から
冠婚葬祭まで、助け合いながらの生活でした。
農家が無くなった今では部落の役割も
かなり変化していて、存続理由も
問れるようになりました。隔世の感があります。
莫大な農林予算の近代化の成果と呼ぶのでしょうか?
日本を支えた農村の崩壊呼ぶのでしょうか?
それでも、楽しい、楽しい、収穫祭でした。