「日本人の心」
村松です
今日は春雨でした。朝晩は冷えても日が昇ると、さすがに暖かいです。
朝のNHKの連ドラ「あさが来た」は、いよいよ佳境に入ってきました。
姉の長男、愛之助はミカン農家を飛び出して、あさの加野銀行に入りました。
次男、養之助 がミカン農家を、継ぐことで解決と思いきや、
召集令状が届き、徴兵されてしまうと、長男愛之助、呼び戻されてしまう。
これに似た場面は、昭和40年代兼業が多かった時代の
農家の長男は、多かれ少なかれ、経験していることと思います。
勤務先には、この忙しい時に欠勤するのかと、まるで犯罪者扱い、
父親には、田植えや、稲刈りも手伝えないのか、この親不孝者といわれる。
兼業農家が高度経済成長時代の底辺の労働市場を支えたとおもいます。
大変でしたが、安くて、旨い、米作りと合わせ、日本の経済を担う誇りに、満ちていました。
農政は農業の国際競争力の名のもと、兼業農家から専業・大規模化へと向かいました。
18軒あった部落の農家は、今は2軒です。はたして安全、安心で安い食料の
供給が出来ているのでしょうか❓食料自給率は農業に使う税金に
反比例して下がっています。農業が衰退して、農林水産省・農協栄えるでは
農業は兼業でしか成り立たないのでは、
日本人の心,水耕農民思想まで失はれたのでは
何百年単位の時間と、命を懸けた話し合いで生まれた
田んぼに効率よく水かけるルール、満場一致、思いやりは、何処へ
兼業農家を育てる農政に舵をきり、ぬくもりの有る農業では、いかが。
それは非正規社員に頼る労働市場にも、ぬくもりの改善に成るのでは。
株式会社の農地所有も、兼業農業の一種では。