「平和」
村松です
晩秋から初冬になりました。寒く天気の良くない日が続きます。
今年は、集団的自衛権行使容認の、いわゆる安保法が成立しました。
昔話し、70年安保の年は法政大通教生でした、全共闘世代といわれます。
門のない法大も、にわか作りのオリの様な塀で囲まれ,ようこ呆大動物園と言われ
学内に機動隊、学生は外、内ゲバで六角校舎に遺体と、翌日の新聞で知ることも。
中核派に占拠された、53年館大学院の屋上のアジ看板
「幻想を捨てよ、苦悩せよ、破壊せよ」が強烈で,ネアカの
出稼ぎ農民の日和見主義者が、インテリを装い、悲壮感で暗い性格に。
今は、高層ビルのボアソナードタワーとなり、隔世の感があります。
この年11月25日、市ヶ谷校舎・外堀の向かいの防衛省、当時・陸自東部方面総監部にて
「仮面の告白」「愛の渇き」「金閣寺」などの、ノーベル賞候補作家「三島由紀夫」が、
盾の会幹部「森田必勝」と、割腹しまた。とてもショッキングピンクな事件で、
2,3日立ち上がることができませんでした、右の三島由紀夫も、
左の「人間失格」太宰治も同根なのかと。。
皆がそれぞれに、人生如何に生くべきか、日本をどうすべきか、真剣に考え行動していました。
政府も、60年安保の反省から、後に「佐藤栄作」ノーベル平和賞の立役者の
前外務事務次官「加瀬俊一」を先頭に、日米安保の必要性を全国行者して、
アメリカ追従の正しさ、素晴らしさ、必要性を、声高らかに説いていました。
70年間、平和に戦争に巻き込まれろことなくこれました、
これからも、この平和が、永く続きますように祈ります。
平和とは
良いもんだねと
話する
おもき言葉の
シベリヤ帰り